NHKハイビジョン特集 

『北海道 豆と開拓者たちの物語』

2011年1月30日 22時50分~ NHK BSHiにて放送
(再放送)2011年2月6日 16時30分~(NHK BShi) 89分
      2019年5月4日 10時15分~(北海道内、NHK総合) 

ATP賞テレビグランプリ、最優秀作品賞(ドキュメンタリー部門)受賞
     ※ATP=全日本テレビ番組製作者連盟

内容

 地上から消えゆく運命にある小さな豆に刻まれた“記憶”をたどり、北の大地に挑んだ開拓農民の営みを記録するドキュメンタリー。

 北海道開拓を志した人々は、日本各地のそれぞれの故郷の豆を袋に詰めて海を渡った。赤、青、黄、緑、紫・・まるで夜空に輝く星のように美しく多彩な大豆やインゲン豆の数は600種以上ともいう。開拓者たちは豆を育てて命をつなぎ、牛馬と共生しながら過酷な開拓の物語を紡いでいった。 

 小さく多様な豆は、一つひとつが時空を超える証言者である。番組では、高齢化が進む開拓農民の大地とともにある暮らしを一年かけて記録した。そして彼らが大切に伝えてきた、色とりどりの豆を、過去と未来を結ぶ遺伝子のタイムカプセルととらえ、そこに、海を越えて入植し広大な原野に挑んだ開拓農民の”夢と記憶”を、詩的映像を駆使して映し出していく。

スタッフ

語 り:     中條誠子
ディレクター:  柴田昌平
取 材:     矢内真由美、堀部拓磨
撮 影:     川口慎一郎
映像技術:   北澤孝司
音 声:     柳田敬太
制作統括:   河邑厚徳、高瀬雅之、大兼久由美


【撮影エピソード】(堀部拓磨)

 まず豆そのものの美しさに、目を奪われ、心をとらえられました。

 北海道に伝わる色とりどりのインゲン豆。その数は600種類以上と言われています。紅色が大きく豆の半分を彩り、その周りに飛び飛びに紅色が色づく「紅しぼり」、はっきりとした黒と対照的な白のモノトーン模様から呼び名がついた「パンダ豆」、インゲン豆の代表格「金時」が全身にまとう純粋なえんじ色、薄い茶色の中に虎のヒゲのような模様の濃い茶色が豆を飾る「虎豆」。本当にたくさんの豆があり、そのどれもがすごくきれいで、それでいて「種」としての揺るぎない力を秘めていました。

 北海道に多くの豆が伝わっているのは、日本全国から集まった開拓民たちが故郷の豆を持って海峡を越えたから。故郷から北の大地に渡った開拓民にとってそれは「お守り」のような、そして現実的に「命綱」だったと思います。

 北海道の開拓の歴史を「豆」から語る。この企画を聞いたとき、「豆」だからこそ語れる物語があると確信しました。私たちは豆の中でも特に「インゲン豆」に注目しました。取材をさせていただいたのは道東に位置する遠軽町の老夫婦。遠軽町は旭川から網走方面に100キロ、車で2時間ほどの町です。旭川から網走をつなぐ交通上にあるため道路は整備され、電車も通っています。服部行夫さん86歳、ツルさん90歳。今も現役で「本金時」と言う金時豆の原種を30アールの畑に育てていました。その笑顔に何度も何度も会いたくなる心温かなお二人でした。

 こちらは撮影したいこともあり、すぐに「種まきはいつですか?」「収穫はいつごろですか?」と聞いてしまうのですが、取材をさせていただく中で行夫さんの口から何度も聞いたのは「農業は毎年一年生だからな」という言葉でした。「農業には、これが正解、というものはない」「天気に合わせてその都度考えないといけない」という意味です。そして実際、服部さんはいつも「今日は何するか?」「種まきはいつにしようか?」など悩んでいました。

 「あと一週間は種まきしない」と言う服部さんの言葉を受け、もう一つの取材先(180キロ離れた十勝地方の豆農家も番組では登場します)に撮影に行っていましたが、その日のうちに「やっぱり明日、種まきをする」と言うので慌てて引き返したこともありました。服部家が遠軽町瀬戸瀬(せとせ)の地に入ったのは大正7年。福井出身の父が行夫さんの兄・姉3人を連れてのことでした。その6年後、大正13年に行夫さんは生まれました。その当時の瀬戸瀬は森も深く、馬を使って開墾をしました。服部家も開墾した畑に古株が残る中で農業を始めたそうです。根の深い古株は何年も畑に残ったままだったと言います。

 北海道に渡った開拓民は、それぞれの地元から持ち寄った種が北の大地でもちゃんと芽を出すのか、早い冬が始まる前に収穫ができるのか、試行錯誤の連続でした。老齢にしていまだ達観せずに思い悩む服部さんの姿に、今まで生き抜いてきた開拓民の末裔としての矜恃があるように感じました。

 ツルさんからは「もう休みなさい」「食べなさい」といつも言われました。取材をしていても、農作業の手伝いをさせていただいても「ゆっくりして、ご飯食べて行きなさい」と言うのです。そして決まってツルさんが育てた野菜(春先にいただいたニラのおひたし、茹でただけのアスパラの二品は絶品でした)を出してくれます。そして、インゲン豆は莢(さや)でも食べることから、北海道では「野菜豆」「おかず豆」と言われ女たちが庭先で家庭用に作った豆でした。番組では女たちが作ってきた家庭用の「豆」にも焦点をあて取り上げます。

 もう一つの取材先、十勝地方幕別町の豆農家・平譯優(ひらわけ・まさる)さん(64)も素敵な方でした。現代の農業の中で北海道に伝わる在来種の豆をいかに作って行くか、日々農業と格闘し作物と向き合う姿を畑に行く度に見せてくれました。

 思い悩みながらも作物を取り、家族の食事を作る、揺るぎない営み。服部さん夫婦・平譯さんを取材させていただきながら、きっとこうしたいくつもの揺るぎない営みによって日本はこれまで支えられて来たのだ、という感覚を私は持ちました。そしていま現在も、食べ物を作る人たちによって、日々の食事、日々の生活は支えられ、ツルさんの「食べなさい」と言う言葉と同じ優しさを日々受けているのだと思います。

 北海道の開拓の歴史は、ほんの少し前まで日本のほとんどは農民だったこと、そしてすごく貧しかったことを教えてくれます。21世紀に入りこれからの時代に何が必要か、服部さん夫婦の揺るぎない営み、平譯さんの現代農業と闘う姿はそのヒントを持っていると、「豆」が教えてくれたように思います。

堀部拓磨(ほりべたくま)   アシスタント・ディレクター

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