推薦コメント

  • 石塚ともさん (『週刊金曜日』 No.840号 映画評 より) 〔2011/3/25発売〕 

    2001年から映画評論活動をしているが、これほど「癒された」と感じた映画は初めてである。それも心の底から。本当に深いところから、そこにあった痛みや悲しみを、希望を伴ったものに変容させてしまう力を持っている。3D映像でもドルビーでもないのに、体に響くように伝わるのである。映像でとらえられないものが映像の中に収められている。
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  • 『森聞き』は君の智恵をよみがえらせる

    バスに乗りながら、智恵とは何か、幸せとは何か、自分の人生の方向はどうしたら良いのか、考えることがあるよね。そんなとき、この映画はひらめきを与えてくた。

               ――フィンランド『VALOKEILA』(子供たちが書く新聞)の記事より


  • 三浦しをんさん (作家)

    無口だったり宿題をやらなかったりもするけれど、登場する高校生はみんな、自分や家族や世界のことを真剣に考えている。そんな彼らが、山で暮らす老人たちと出会ったときの戸惑いと喜び――。
    きらめく表情を見て、ちょっと涙ぐんでしまった。
    じいちゃん、ばあちゃんも、高校生たちも、最初は少しカメラを意識しているのだが、そのうちだんだん素が出てくる。思わず笑ってしまう発言や、心打たれずにはいられない言葉が満載!
    こういうひとたちがいるから、この世界は希望をもって生きるに値する。とってもおもしろい映画です!

        →三浦しをんさんによる さらに詳しい映画評が 農文協『季刊 地域』 に掲載されました。
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  • 阿川佐和子さん (文筆家・タレント)

    若者が、森で営む名人に出会って得たものは、大自然への畏敬の念、仕事の知恵や技、インタビューのコツ、テープ起こしの忍耐力、一つことを成し遂げた達 成感……。いや、それだけではない。若者は名人から、生きるため、生き続けるために必要な万能の武器を授かった。その武器を携えて山を下りてきたのであ る。
    もしかすると若者は、名人から受け取った武器の力に今は気づいていないかもしれない。しかしいつか大人になり、自身が何かしらの名人になろうとしたときに、森の匂いや野鳥のさえずり、湿った土の感触を甦らせながら、その武器が偉大な宝物だったことを知るだろう。
    そして、この若者と名人が、たまたまにして出会い、心を通わせ、ともに並んで木々の間を歩く姿を目のあたりにした私の心は、なんとも言えぬ爽快感に包まれて、涙が止まらなくなった。



  • 辻信一さん (文化人類学者、ナマケモノ倶楽部世話人。明治学院大学教授)

    山村に生きる老人たちの智恵と、来るべき大転換の予感にふるえる高校生たちの感性が、縦糸となり横糸となって、希望を紡ぐ。この美しい映画がスローライフのほんとうの意味を教えてくれる。


  • 渡部実さん (『キネマ旬報』2010年9月上旬号より)

     おそらく今までの記録映画や劇映画はキャメラを向けられた被写体の人たちが、キャメラの存在を意識して何かをしゃべらなければいけないという緊張感があったことだろう。しかしこの映画は中山さんが古老の話を聞いて、漫然を宙を見ている顔の表情を一途に撮っている。中山さんは言葉を留保したまま沈黙を保っているようにも見える。ここにも不思議な美しさがある。すなわち今までの映画はそのようにややもすれば明確な意味を示さないと思われるこのような映像を、価値が無いと判断してカットしてきたのではなかったか。しかしこの映画は、実にそのような中山さんの何を思っているかは知れない、よってそこに意味を確定できない、とされる彼女の表情を、彼女自身の"時間"として素直に撮っている。私はこの場面を見て、このような場面にこそ、実は何か奥深い世界の意味が隠されているのではないだろうか?と思わず感動せざるを得なかった。この中山さんの表情は冒頭の「何か世界は変わり始めている」という河合さんの問いかけに映像をもって響き合っているように思われたからだ。

    私はこの映画に登場した他の森の名人たちのエピソードも含めて、世界はどこかでつながっているということを改めて実感した。

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  • 小原治さん (ポレポレ東中野)

     未来の選択に迷う彼らの姿は、大人になるためには避けて通れない人生の1ページに過ぎません。義務教育を卒業した後にも答えのない選択の日々は続くのです。その果てに今、私たちの現在があり、社会人としての人生があります。

    『森聞き』に向ける眼差しが人それぞれなのは、漠然とした人生観の中を通り過ぎてきた自分だけが知っている季節を、スクリーンに映し出された彼らの姿に重ねているからなのでしょう。個別の時間と空間を映画的構造に組み入れながらも、今を生きる全ての人とどこかで繋がっているのが『森聞き』です。たくさんの方に見て欲しいと思います。



  • 村岡正司さん (ウォロ編集委員)

     「人間が生きることの品格」のようなものがよく現れている作品です。これは監督やプロデューサーの人柄が、映画のなかに織り込まれているからでしょう。 加えて映像の美しさ。日本の原風景を撮っていながら、海外の人が観ても、自分の故郷に重ね合わせることができる、そんな広がりを秘めた映像です。また BGMが効果的。作品をクラシック音楽にたとえると、「ひめゆり」はベートーヴェン、「森聞き」はモーツァルトだともいえるでしょうか。

    高校生たちと老齢者である森の名人。真っ先に浮かぶテーマは世代間交流、エイジレスという切り口ですね。これは誰にもわかりやすいものだし、実際観客のターゲットを絞るうえで大切なものです。
    一方で、この出会いは、作為的に、ひとつの目的を持ってお膳立てされたものだといえます。自然と生まれたものではない。そこに展開される「物語」は、ド キュメンタリーでありながら、同時にフィクションでもあるのです。そこにも注目したい。それこそが映画のもつ「力」、監督の世界観ともいえるからです。



  • 内山節さん (哲学者)

     老人達と高校生に断絶はない。確実に繋がっている。
    出会いは、日本に受け継がれてきた文化を甦らせるきっかけとなった。



  • 沖縄料理屋のくららさん(推定20代)から

     待ちに待った昌ちゃんの第2作「森聞き」は、人対人、人対自然の空間を捉えているなぁって感じました・・・
    ⇒続きはこちら http://www.himeyuri.info/kantoku_blog/2010/06/kurara.html



  • 中村弦さん (作家)

     根っからの都市生活者である私は、この映画がはじまって間もなく、登場する高校生たちの目線と同化し、驚いたり感心したりと繰り返していた。「森の名 人」たちの言葉や技の随所に、瞠目すべき知恵や説得力のある警句がちりばめられている。長い歳月のあいだ山に分け入って仕事をし、森とともに歩んできた老 練の人びとは、すでに森と分かちがたい存在――森の一部になっているように私には感じられた。「森の名人」の話を聞くことは即ち、森の声に耳を傾けること にほかならない。
    「森の聞き書き甲子園」の試みについては、この映画によって初めて知った。「名人」と接し、聞き書きをするという体験を通し て、十代半ばの若者たちがそれぞれに抱えた迷いや不安を乗り越え、納得のいく未来を見つけられることを心から祈りたい・・・・・・。観終わったときには、 そんな素直な気持ちに満たされていた。



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